「近づきたいのに、何だか息苦しい」
「距離を取りたいのに、冷たく見えたらどうしよう」
人間関係の距離感って、少し不思議ですよね。
近すぎても苦しくて、遠すぎても寂しい。
今日は“ちょうどいい距離”について考えてみます。

距離は、ないよりはあった方がいい
距離はないよりかはあった方がいい。
―――程よく、ですけどね。
遠すぎると相手の表情が見えなかったり、声が届かなくなってしまう。
でも近すぎると、身動きが取りにくくなります。
身動きが取れなくなると、自分と相手の境界線が分づらくなります。
混ざり合いすぎず、別々の存在で在ること。
それは「自分という存在を保ち、相手を他者として認める」ということです。
境界線が曖昧になるとすれ違いが生まれる
境界線が曖昧になって混ざり合ってしまうと、自分と相手が同じような気がして、
言葉で伝える回数が減り、結果すれ違い、傷付けあってしまいうこともあります。
同じ方向を一緒に見ていたはずなのに―――どうして?と感じる瞬間。
それは、お互いが「近すぎた」サインかもしれません。
関係が深くなればなるほど、混ざり合いやすくなるのは自然なことです。
でも、同意も共感は「分かり合う」ことであって、「同じになる」ことではりません。
細かい部分には、それぞれの“オリジナル”が存在します。
オリジナルの違いを語り合う
お互いのオリジナルを語り合いながら関係を築けたら、それが理想。
ただ、すべての人と程よい関係を築くのは簡単ではありません。
同意も共感もできず、理解も認めることも難しいと感じたら、
そっと後ろへ三歩下がってみてください。
関係を深めることは、近づくことではない
関係を深めるのは近づくことだけを意味しません。
お互いの心が安全である位置に身を置くこと―――そこから始めていいのです。
遠ければ少し近づき、近すぎたらもう少し下がる。
距離は一定である必要はありません。決まった位置もありません。
その都度、遠のいたり近寄ったりしながら
自分と相手の輪郭を保ち、補い合いながら
人と人の間で、生きていけたらいいですね。
その距離が、心地良さの目印になりますように。
最後までお読みいただきありがとうございます。
小さな一歩が、大きな安心につながります。
投稿者プロフィール
- くれたけ心理相談室 名古屋南支部 心理カウンセラー
-
名古屋市南部を中心に、ルーム・カフェ・訪問・オンラインでカウンセリングをしています。
言葉にする前の心の声にもそっと寄り添い、少しでもほっとできる時間を届けたいと思っています。
趣味は読書、写真、カフェ巡り。
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