「嫌われたくない」と「好かれたい」の違い
「嫌われたくない」と「好かれたい」
似ているようで、根っこにある気持ちはまるで違います。
同じ“女偏”の言葉なのに、不思議ですね。
「嫌われたくない」と感じるとき、心はとても慎重になります。
相手を基準にして、どう見られているか、どう感じられているかを探りながら、
自分の安心を失わないように努めているのです。
その努力の裏で、少しずつ自分の気持ちは小さくなっていきます。
一方で「好かれたい」ときは少し違います。
相手の“横”に自分を置いて、
「こんな自分を知ってほしい」「一緒に笑いたい」と心が外へと伸びていく。
自分を守るためではなく、相手との繋がりや未来の広がりを求める気持ちです。
どちらの気持ちにも“人と繋がりたい”という願いが込められています。
けれど、根っこにあるのが 「恐れ」か「 安心」 かで心の向く先は全く変わっていきます。

“いい人”でいようとする優しさ
嫌われたくないとき、自然と“いい人”でいようとします。
“いい人”でいることは、恐れをベースにした優しさなのかもしれません。
けれどその優しさは、相手にとっては優しさでも、自分にとっては優しくないことが多いのです。
本当は傷ついているのに、笑ってごまかしたり。
大丈夫じゃないのに、「平気だよ」と言って相手に合わせてしまったり。
そんな風に、少しずつ心がすり減っていくことがあります。
自分にも優しさを向けてみる
それでも“いい人”でいようとするのは、その方が安心だから。
心の奥で「ありのままの自分では受け入れてもらえないかもしれない」という、恐れを抱えているかのかもしれません。
だから、相手の顔色をうかがったり、無理に笑って、
“いい人”という安心できる位置にいようとするのです。
けれど、もし同じように安心を求めるのなら
ほんの少しだけ、その優しさを自分にも向けてみてください。
「怖かったね」「頑張ってきたね」
そんなふうに、自分の中の“いい人でいた自分”を責めずに、そっと抱きしめてあげましょう。
“戻る勇気”が生む本当の優しさ
そうして自分を理解し、受け止めていくうちに
少しずつ「嫌われても大丈夫」という安心感が育っていきます。
その安心感はやがて“自分を信じる勇気”へと変わっていきます。
他者の評価に揺れる優しさから
自分をも包み込む優しさへと、心が静かに変化していくのです。
“いい人”をや丸というのは、何かを捨てることではありません。
むしろ、本来の自分に戻っていくこと。
人に優しくありたい気持ちも
自分を安心させたい気持ちも
どちらも間違いではありません。
大切なのは、どちらの自分もそのまま受け入れてあげることです。
そうすると、自然とあなたの中にある本来の優しさがあらわれます。
それは、誰かに好かれるための優しさではなく
誰かと心地良く生きるための優しさです。
誰かを想うことと、自分を想うこと
“やめる勇気”ではなく“戻る勇気”
誰かを想うことと、自分を想うこと。
どちらも同じ優しさの中にあります。
そのことに気づけたとき今より少し、しなやかになっていくのです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
小さな一歩が、大きな安心につながります。
投稿者プロフィール
- くれたけ心理相談室 名古屋南支部 心理カウンセラー
-
名古屋市南部を中心に、ルーム・カフェ・訪問・オンラインでカウンセリングをしています。
言葉にする前の心の声にもそっと寄り添い、少しでもほっとできる時間を届けたいと思っています。
趣味は読書、写真、カフェ巡り。
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