Photo by Suhash Villuri on Unsplash

 

子どもの頃、宝箱がありました。

中にはおじいちゃんと毎年広げていたタンポポ畑で取ったタンポポの綿毛の押し花
友達から貰ったセーラームーンの小さな人形
引っ越していった友達から送られてきた手紙
知らない公園で拾ったキラキラの石
お母さんと作った銀色スプレーの松ぼっくり
おばあちゃんから貰った大きな指輪とネックレス
映画の半券、海で拾った貝殻、誕生日プレゼントについてきたリボン…

 

ガラクタばかりですが、開ける度にその当時の気持ちが蘇ります。
何てことない日常のひとコマ。
誰かが忘れてしまった日。
私には今でも残っている日。

 

大人になって
親になって思うのは与えることに必死になって
何てことない一瞬になって日々がただ流れていっている気がします。

一方、子どもは初めてだったり、すごく楽しかったり嬉しかったりして
何気ない日常が記憶や印象に残っていることが多い気がします。

なんて言うと、子供に関わる時は気を抜けない!と思うけどそうでもないのです。

 

私の母の宝箱を数年前、発掘しました。
開けると子ども時代に渡したプレゼントや絵が箱いっぱいに入っていました。
それらを渡した瞬間や描いていた気持ちを何十年経った今でも朧気ながら思い出せたんです。

 

「大切」という相手を思いやる気持ちは幾つになっても自分の中で育み続けると思います。

そして、与えられ続けるだけでは育たない気がします。

 

まとまりが悪いですが私が言いたのは
大人が頑張ってるのを一番よく見てるのは子どもたちです。

言葉、気持ち、行為、プレゼント等々…
子どもの成長がよく見える瞬間は親が受け取る側になった時だと思います。

だから、時々は与える側から与えられる側に回ってみませんか?
あなただけの宝箱に宝物を1つ増やすチャンスだと思うのです。

 

投稿者プロフィール

横地 里奈くれたけ心理相談室 名古屋南支部 心理カウンセラー
名古屋市南部を中心にルーム・カフェ・訪問・オンラインでカウンセリングを承っております。
言葉になるまでの心の声にも耳を傾けています。

趣味は読書と写真と秘密基地探索。

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