相手の為だと思って言っているこの言葉は
誰のために言っている言葉なのだろうかと、話の途中で考えた。
同じミスをしない為に
相手の将来を考えて
これから何ができるのかを話していた時でした。
ふと、
今かけている言葉は自分自身の落ち度を埋めるための
言い訳のような
慰めのような
こうしたら良かったんじゃないかという
タラレバを言っているような気がして話すのを辞めました。
冷酷なことを言えばミスをしたのは相手。
相手が困るだけで自分は何も困らない。
困っているところに介入しようが放置しようがどちらでも良いはずです。
必ずしも介入しなければならない理由なんてどこにもないんです。
ただ何となく自分が評価されているような気がして
ついつい介入したくなるのが人の情というものだったりもします。
完璧な人間なんてどこにもいないのに
その完璧で非の打ちどころのない存在に近づきたい一心で
近くにいる人も巻き込んでしまう。
数年前に流行った「嫌われる勇気」を持つ勇気がないんだと分かった。
だからこの先、感情的になりそうなとき
呪文のように自分に問うてみる。
「それは誰のため?」
投稿者プロフィール
最新の投稿
- 2024年11月21日日 常*麦茶
- 2024年11月12日カウンセラーに聞きました*何をしている時に一番幸せを感じますか?(#238)
- 2024年11月1日日 常*おでんと秋
- 2024年7月31日写 真*夕立