
相手の為だと思って言っているこの言葉は
誰のために言っている言葉なのだろうかと、話の途中で考えた。
同じミスをしない為に
相手の将来を考えて
これから何ができるのかを話していた時でした。
ふと、
今かけている言葉は自分自身の落ち度を埋めるための
言い訳のような
慰めのような
こうしたら良かったんじゃないかという
タラレバを言っているような気がして話すのを辞めました。
冷酷なことを言えばミスをしたのは相手。
相手が困るだけで自分は何も困らない。
困っているところに介入しようが放置しようがどちらでも良いはずです。
必ずしも介入しなければならない理由なんてどこにもないんです。
ただ何となく自分が評価されているような気がして
ついつい介入したくなるのが人の情というものだったりもします。
完璧な人間なんてどこにもいないのに
その完璧で非の打ちどころのない存在に近づきたい一心で
近くにいる人も巻き込んでしまう。
数年前に流行った「嫌われる勇気」を持つ勇気がないんだと分かった。
だからこの先、感情的になりそうなとき
呪文のように自分に問うてみる。
「それは誰のため?」
投稿者プロフィール
- くれたけ心理相談室 名古屋南支部 心理カウンセラー
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名古屋市南部を中心に、ルーム・カフェ・訪問・オンラインでカウンセリングをしています。
言葉にする前の心の声にもそっと寄り添い、少しでもほっとできる時間を届けたいと思っています。
趣味は読書、写真、カフェ巡り。
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