―――信じること
人を信じる、未来を信じる、
確信が持てない事だけれど自分が信じたいと感じること
―――信じられること
2つの意味があると思う
1つは、自分が他の存在から信じたいと思われて信じられること
もう1つは、自分が信じたいと思える事象を指すこと
信じるということ自体にどこか依存的な寄りかかるような、そんなイメージを私は抱きます。
一心にか時々かは別として、信じる時に一度対象とした存在に心を預けるのだと思います。
信じる、心を預けるという行為は自分の一部を委ねるということでもあると思います。
確信のない対象に対して自分の心を預けるのはさぞ心細い事だと感じます。
しかし、時に信じてみたくなる。
ギャンブル的な心のハラハラを求めるのではなく一時的な心の在り処として信じることをする。
期待を裏切られるとか、時には一瞬でも頭をよぎるけれど自分の心をそこへ置きたくなって信じる。
未来は誰にも分からないのだから…半分半分。
心は実体がないけれど持っている人から離れておいておくことができます。
他者の心が自分のもとにあると感じる時、それは一部どこかでその心の持ち主から信じられている証だと思います。
信じられていると感じるからこそ、意識するからこそ、
その心の持ち主の期待に応えようと努力したり実力以上の力を発揮したりできるのだと思います。
人の心はその人の心だけでできていないと思う時があります。
幾つか、あるいは何人かの他者の心が介入してきて心のピースになって
1人の人の心が構成されている気がします。
もちろん自分の心を信じる、自信というのも心を構成するピースになっていると思います。
この自信が弱まったり、持てなくなった時に心を構成するピースが足りなくなって
自分以外の存在を信じて保とうとしたり
過度に他者から信じて貰おうと行動に出たりします。
その時にバランスが崩れて自分と追い存在が薄れて他の存在を信じる、信じてもらうことに集中してしまいます。
信じること、信じられること
それは心を委ねることであり、
心のバランスを保てなくなった時に盲目的に行う行動でもあります。
心のバランスが保てなくなることは多々あります。
しかし自分の心を委ねる相手は慎重に選んで行きたいし
できたら自分自身にも少しは委ねてみて欲しいと思います。
そう感じた、暑い梅雨の日。
今年の夏がこれ以上暑くならないと信じたい…けれど信じられない。
暑さにうだりながら、そんなこともあっていいじゃないと自分自身を宥めながら思ったこと。
長い事、最後まで読んで頂きありがとうございました。
良い日になりますように。
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