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以前に購入して結局読まずに寝かせていたのを最近読みました。

太宰作品は正直なところ「走れメロス」しか読破していません。

「人間失格」は映画で観てそこで満足してしまいました。

読むぞ!!と気合を入れて読まないと途中で挫折してしまうのが多いのが太宰作品です。

なんだろう?個人的な考えでの表現ですが、

真っ暗闇の中で明かりを求めそこら辺にある藁や雑草を掴んで燃やしているような・・・

そんな心細さを紛らわすために「生」や「死」について盲目的に酔狂しているような感じで

手軽に手に取ってパラパラと読む訳にはいかないのです。

嫌いとか苦手という訳ではなく、もっとこう、太宰治の世界に没頭したいとか陶酔したい気分にならないと

失礼な気がして、買っても本棚で眠らせることが多くなってしまいます。

そんなニュアンス伝わってますでしょうか?分かりにくしですよね。

 

話は逸れましたがやっとのことで読みました。

ページ数的には薄い本ですが、内容はものすごく濃い本でした。

カタカナの使い方や言葉の言い回しはすこし馴染みのないものが多かったですが、

現代でも決してホコリを被っていない作品です。

ホコリを被っていないとはどういうことか?

多分ですが、この先何十年たっても「斜陽」は新鮮な作品のままだと思います。

名作、傑作と呼ばれる作品はほとんど全てにおいてどの時代、どの世代、何回目であっても

新鮮な気持ちで読めるものだと思います。

 

思想や時代背景は確かにハイカラで若干浮世離れをしている感じはします。

ただ、作中で太宰がずっと考えている「生」というものはなにか?という問は決して色褪せない問であると思います。

「生」という一本の線を見据えていく上に必ず存在する「死」

「死」を考える上で「生」を問う。

ただ、漠然と「死」のみについて考えるのではなく「生きる」ことを考える。

そして必ず文学や芸術の思想が隣にある気がします。

 

例えるなら、美術室と音楽室の間にある図書室って感じです。

片方からは音楽が聞こえ、片方からは油絵具の匂いがする中、本っていう思想に埋もれて

夕日が沈む中電気もつけず薄暗い部屋で思いにふける。

そんな印象を受けた作品が「斜陽」でした。

 

きっとあともう何年か経ってもう1度読んだら全く違う印象を受けるんだと思います。

それが本の素晴らしいところで、太宰作品がホコリを被っていない理由かな?と

肌寒い冬の入口で思うのでした。