春陽気の週末、家族で大きな公園に遊びに行ってきました。
長い滑り台を何度も滑って
走り回って、アスレチック遊具に登って
帰りの車でぐっすり眠る子どもたちを見て
夫と二人で「楽しかったようで何よりだね」と話す。
子どもたちが大きくなっても彼らは覚えてるだろうか?
ふとそんなことが過る。
例えこの子達が覚えていなくても私が覚えていればそれでいいし
もし、どちらかが覚えててくれたら一緒に懐かしめばいい
きっと愛情も一緒で
注いだ方はその時注げるだけ注いでるし
(多分自分が思っている以上に注いでいると思う)
注がれた方は記憶に残ってなくても愛情が注がれた事には変わらない。
むしろ「あぁ~今愛情注がれてるな」と実感することの方が少ないし
愛情って伝わるまで時間が掛かることが多々あるから
いつの日か私たちが注いだ愛情の痕跡をこの子達が見つけて
誰かに繋いでいってくれたら素敵だな。
私たちの両親も同じことを思ったのかも…と想像して
嬉しいような誇らしいような切ないような
果てしない時間と祈りを感じた帰り道。
子育てって案外悪くないですよ、って話。
投稿者プロフィール
- くれたけ心理相談室 名古屋南支部 心理カウンセラー
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名古屋市南部を中心に、ルーム・カフェ・訪問・オンラインでカウンセリングをしています。
言葉にする前の心の声にもそっと寄り添い、少しでもほっとできる時間を届けたいと思っています。
趣味は読書、写真、カフェ巡り。
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