ある小説の一文で

「もし自分の子供がいじめる側といじめられる側のどちらかになるなら、いじめる方に回った方がマシだ」というものがありました。

いじめる側、いじめられる側・・・できればどちらも回りたくないものです。

でも、もしどちらかに回るとしたら・・・私はもう一度いじめられる側に回ります。

 

いじめ問題は正直人が2人以上いる限り無くならないと思います。

人よりも優位に立ちたいという欲求や知恵がある限り。

いじめを撲滅しようとしている方々もいらっしゃいますが、無理に近しいと思います。

社会組織のピラミッドが完成している今、人と人が接触をする以上、

いじめはどこにでも存在します。

人間の持つ本能なんでしょうね。

食欲をなくせと言われても、お腹がすいてしまうのと一緒です。

人間の形成上無理です。

 

いじめ問題が起きた時、発覚した時、特に学校関係の人々は隠すことに一生懸命になりますが、

その労力をいじめる側の子、いじめられた側の子の心のケアに回して欲しいものです。

いじめる側、いじめられる側、どちらに非があるなんてどうでもいいのです。

いじめる側、いじめられた側の心のケアに力を入れるのが本当に必要なことです。

 

いじめた側の子を大人が叱りつけるといったことを今でもするそうですが、

まずそもそも「なぜ人を攻撃しなくてはならなかったのか?」に重点を置き考えることが大切だと思います。

もしかしたら、いじめる側の子の心のSOSなのかもしれません。

 

人を傷つけるとき、一緒に傷つける人の心も痛みます。

人を叩いた時、一緒に叩いた手も痛みます。

 

なぜそうしなくてはならなかったのかを、考える必要があるのです。

自分を痛めつけてまで人を痛めつけなくてはならなかったのか。

人を傷つけてまで傷つく必要が本当にあったのか。

いじめる側の子の環境に変化はなかったのか、家庭は機能しているか、

また他の子から言葉を含める暴力を受けていないか。

人へ攻撃をする時、攻撃する側の人の心は不安定なことが多いです。

1人では抱えきれなくなった想いを人にぶつけて、一時的に発散している可能性もあります。

 

いじめられる側って長い事いじめられていると、いじめている側の心の痛みを一緒に感じるんです。

あぁ・・・痛かったんだな。寂しいんだな。苦しいんだな…。

だからこそ私はどちらかに回れと言われたら、いじめられる側に回ります。

嫌ですけどね。

苦しいし、惨めだし、悲しいし…でも、人の痛みの分かる側に居たい。

人の心を忘れず、例えいじめられても人の痛みを忘れない。

「嫌味かよ」と思われるでしょうが、いじめていた子たちには感謝しています。

いじめという方法であってもSOSを出していた彼女たちに。

 

正直当時はどう出し抜いてやろうかと毎日考えていました。

早くいじめから脱して楽になりたい一心でした。

今思えば心理の道に進むきっかけになってくれた。

いじめられたという過去は消えません。一生残ります。

もしかすると心理の道に進むことで彼女たちを出し抜いているのかもしれません。

それでも、大切なことを教えてくれました。

 

言葉は矢に変わる。

放たれた矢は一生突き刺さったまま傷口を残す。

だからこそ、人に優しく、言葉を癒しの呪文に変えられる。

いじめられてなかったら今の自分は存在しないです。

運のいい事に自分は言葉や態度の暴力ばかりだったからかも知れません。

いじめを苦に自分を殺そうと思ったこともありません。

負けず嫌いな性格上、生きて彼女たちを報復させようと思っていました。

いつか彼女たちをギャフンと、ギャフンとも言えないようにしてやろうと思っていました。

 

今では彼女たちは母となり守る存在ができたのでそんなことも思わなくなりました。

「許すことの大切さ」を教えられました。

許すことでいじめに打ち勝てると、時間を掛けて学びました。

 

いじめる側、いじめられる側、どちらにも手を差し伸べたいです。

人の痛みを知ればどちらにも回ることはできません。

手を差し伸べられることで傷口が痛むこともあります。

痛みを知ることで、傷つけることを躊躇します。

 

だからこそ、いじめる側を吊るし上げるのではなく、手を差し伸べ痛みを知ってほしいと思います。

何が大勝利か?と聞かれたら、いじめに関わった人たちが笑って語り合えることです。

それはどちら側も傷が癒えていないとできませんから。

できれば初めからいじめが起きない事がいいに決まってます。

でも、人間が居る限り、受けた傷の痛みを忘れてしまう限り無くなりませんから。

多くの人が暴力ではないSOSを直ぐに出せるように、出したサインを直ぐに受け取れるようにして行くことが

これからの私たちの進む方向だと思っています。