今月の会社からのお題2つ目です。

 

あなたの「愛する人」について語って下さい。

ということなので、まずは「愛」って何?って所からスタートしてみました。

広辞苑では

  • 親兄弟のいつくしみあう心。広く人間や生物への思いやり。
  • 男女間の愛情。恋愛。
  • 大切にすること。かわいがること。めでること。
  • [キリスト教]では神が全ての人間をあまねく限りなくいつくしんでいること。
  • [仏教]では渇愛、愛着、愛欲。「十二因縁」の説明では、第八支に位置づけられ迷いの根源として否定的に見られている。

英語ではLove、フランス語ではAmour、ドイツ語ではLiebe、日本の古語では「愛(かな)し」

 

こう考えると愛って難しいです。

恋をした時にその感情はLikeなのかLoveなのか?とか言いますけど、考えるものではないと思います。

要はそのことを考える時があって、考えたり思い出したりすると思わず嬉しくなったり、

こころがじわぁ~っと温かくなるのが愛なのかな?と。

今回の対象は「人」なので、どの人のことを考えるとこころが温かくなるか?ということにポイントを置きました。

 

身の回りの人1人1人考えました。

家族や友人、くれたけの人々、パートナー。みんなどこかしらで温かくなります。

愛する人に囲まれてるんだな・・・と嬉しくなりました。

そこでふと思ったのが「愛する」ということは一方的な感情なのか?ということです。

 

愛情を抱くには自分がいて、他の人(もの)があって初めて湧いてくる感情ですよね?

何もないところに「愛」は生まれないと思います。

じゃあ、逆に私は愛する人に愛されているのか?という疑問に至りました。

 

外国の方だと日常的に「I love you」と日常会話で愛を伝えますが、

日本人の場合日常的に「愛してる」と伝えるのはパートナー、あるいは子どもに対して時々かな?と。

比較的に言葉ではなく態度や行動の中で愛を示すことが多い気がします。

さりげなく、ひっそりと・・・そうかの夏目漱石も「I love you」は

「月が綺麗ですね」と訳したと言いますし、直球な愛を伝えるのは恥ずかしい文化があるからでしょうか。

 

前置きが長くなりましたが、あえて直球で今回は「愛」を語ります。

「愛を教えてくれた人」「愛する人」そして「愛した人」のこと。

 

まずは「愛を教えてくれた人」

もう、人ではなくなってしまいました。しかし、今でも「愛」を教え続けてくれています。

成長という過程の中に残る愛。

それを見つけては日々愛されていたと実感し、愛し続けています。

本当に愛情深い人でした。

一体どれだけこの人の愛に救われたのだろうか?と思うと果てしなくて泣けてしまいます。

一緒に過ごした時間の中に残る言葉の1つ1つに愛が込められていて、

当時は気付けなかったことが今になってやっと分かり始めています。

優しく包み込むような愛もあれば、時に冷たく突き放す愛もある。

そして、ずっと見守り続けるという愛。

様々な愛を毎日毎日送り続けてくれています。

この人がいなかったらきっと私は「愛」というものを知らずに身体だけ成長していたと思います。

心理カウンセラーになることもなければ、こころから人を愛することも知らなかったでしょう。

こころや愛を持って、こころを育ててくれた愛する人です。

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愛は教えられるというか伝えてもらって感じて受け取るものなのかな?と思います。

 

次に「愛する人」

パートナーです。ある日突然なんの前触れもなく飄々と現れました。

新しい未来を無理なく自然に見せてくれる人です。

今のパートナーと出逢って見る世界が180度変わりました。

それまでずっと「~しなきゃ!!」という気持ちが強く、できる限りベストを尽くさなきゃと常に焦っていました。

彼と出逢ってから方の力が少しずつ抜けて来た気がします。「~しなきゃ」から「~したい」に変わりました。

そして何より物事をシンプルに考えられるようになり、

見返りを求めたりこれだけ頑張ったんだからと思うことが無くなりました。

自分がしたいと思ったからしただけで、誰かが喜んでくれたのは結果や+αなのだと。

彼はどこの誰でもない「わたし」という人間を愛してくれる人です。

きっと彼自身のスタンスがとても自然でオープンだからだと思います。

物事の流れに身を任せるので何が起きても「じゃあ、自分はどうしようか?」と常に周りを冷静に見て

出過ぎる事も引きすぎる事もなくポジティブに行動ができる人。

基本ドライというかクールというか生粋の理数系で理論派です。

ゴリゴリ文系の感情派タイプの私とは真逆な人種(笑)

なので、彼は理論的に、私は心理学的に分析し合って遊ぶことがお互いを知るツールであり、重要な時間です。

例え同じものを見ていても視点が全く違うので後から何を見ていたのかと話し合うのが楽しくて仕方ありません。

「そこ見てたのか~!!」と笑いあうこともしばしば。

笑いのツボが似ていて、お笑いが2人とも好きで距離を縮めたので会話には常に笑いが絶えません。

彼には久々に恋する楽しさを思い出させてもらいました。

浮足立つというか、恋するってそうそう!この感じと純粋に楽しませてくれて、

彼も彼なりに恋を楽しんでいてくれる。。そんな時間がワクワク、うきうきします。

あと、初めて?安心して委ねられるというか、手放しで見ていられることを今体験しています。

今までの恋愛を振り返ると「彼女」というより「世話焼き」になっていたことが多く、

常に「大丈夫?」「やろうか?」「何してるの?」「それはどうかと思う」「もっとしっかりしてよ」と

相手からしたら「分かってるって!!」と耳の痛いことばかりでした。

やっと今の年になって「彼女」「パートナー」という存在で居られる人に出逢ったなと。

この人となら言葉の通じない全く知らない土地に行っても大丈夫・・・と今までにない安心感に包まれてます。

何事も塩梅よ~やってくれる人です。

ただ、まだ一緒に居る時間が少ないのでお互いに嫌なところが無いです。

この先時を重ねていったら不満とか嫌なところが出てくるんだと思いますが、それすらも楽しみだねとどっしり構えています。

何故かって?お互いの知らない所を知っていくチャンスですし、

自他共に認める変人同士なので「これもまた一興」と笑って認め合っていければ良いねと・・・

なんだか惚気のようになってしまいましたが

私が愛する人は尊敬できる変な人ってことです(笑)

 

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そして最後に「愛した人」

長いこと隣に居ましたが、最後は別々の道を選びました。

この人にはとてもとても愛して貰い、とても大切にしてもらいました。今でも感謝してます。

愛するってキャッチボールの様なもので投げられて、受け取って、投げ返してを

繰り返すことによって深まっていくと知り、愛することの重さを教えてもらいました。

実は今回のお題を見た時に1人1人身の回りの人を思い出して、最後の一人として浮かび、書こうか迷いました。

ただ、嘘偽りなく過去に「愛した人」であったことは間違いありません。

ずっと2人の未来を思い描き続けてましたし、そうなるだろうと思っていました。

ただ、時に運命というかタイミングとは意地悪なもので最後の最後まで連れ違いの連続でした。

当時は「どうしてこんなに想い合ってるのに!」とイライラをぶつけ合っていました。

今思うとお互いに重すぎる愛の塊をぶつけ合っていただけでした。

受け取ることも感じ取ることも後回しにして、ひたすらに「受け取って!受け取って!」と投げ続けていた気がします。

相手の為と言いながら自分のエゴを押し続けていたらそれは誰だって疲れてしまいます。

そして、受け取れなかった、受け取られなかった愛は足元でドロドロと固まって身動きが取れなくなり、

相手を縛り付ける鎖になってしまいました。

若いというか未熟というか・・・ただこの人からは多くのことを学びました。

許すこと、笑い合うこと、パートナーは別々の人間だということ、

時に愛は重くて愛するとは苦しいということ。

そして、恋にはタイミングと賞味期限があるということ。

なので、あえて「愛した人」ということで書かせてもらいました。

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「愛を教えてくれた人」「愛する人」「愛した人」という3人について語りましたが、

「愛する」ということは相手となる人やものがあって初めて生まれる感情で、一方通行になると苦しくなるのかなと。

与えすぎる事も、与えられすぎる事もなく、キャッチボールのように双方が受け取って感じる。

そんなことを考えてみました。

そして、恵まれていることに身の回りの人1人1人とキャッチボールができていることに気が付き

いろんな形があるということを知りました。

どれもこれも相手を「愛する」ことに変わりはありません。愛に決まった形はありません。

1つ1つの愛がオリジナルであるということです。

愛することは尊く美しくもありますが、一歩違うと「愛憎」というものに変わります。

「愛しさ余って憎さ100倍」といこと言葉があるのはきっと過去の「愛した人」と私のように

愛の塊をぶつけているからなのかもしれません。

じゃあ、本当の愛って何なの?ということになりますが、多分考えるに「無償の愛」というものなのかな?と。

見返りなんて求めないで純粋に愛することが「無償の愛」なのだと思います。

それではキャッチボールをする必要は?となりますが、考えてみてください。

何の見返りも下心もなく純粋に届いた愛があったら、嬉しくなって何かお返しをしたくなりませんか?

そのやり取りがキャッチボールのようになったら・・・それはとてもとても素敵で幸せだと思います。

「愛する人」というお題から外れて「愛する」ということについても語ってみました。