以前、会社から出ていたお題を書きたくなったので書きます。
宿題じゃないから書きたい時に書けばいいと思っています。
「あなたは何のために生きていますか?」
ずっと永い事人類が考え続けている議題だと思います。
人はどこからきて、どこへ行くのか…
なぜ存在しているのか…
何のために学び、働き、命を紡いでいくのか?
誰も知らない、知られちゃいけない~♪
デビルマンを歌いつつ個人の考えを書きます。
結論、その時々なので分かりません。
生きる糧って幾つあってもいいんです。
昨秋に十数年思い続けたお方がご結婚成されまして…
私の20代の全てをつぎ込んだともいえるべきお方でしたので、それはそれは複雑でした。
ご飯がのどを通らないんじゃないかと一瞬危惧しましたが
変わらず白米は美味しかったです。
つやっつやのピッカピカのふっくらと炊き上がった白米を
ほくほくと食べる喜びもまた、生きる糧。
勿論、結婚成された彼の存在も生きる糧。
「あぁ~疲れた、何でそうなるかね」なんて思いつつ仕事後にふらりと入ったお店で
飲むキ~ンと冷えた生ビールもまた生きる糧。
帰宅してザバ~んと浸かる少し熱めの湯船に「あぁぁぁぁぁ」と言う。
夜中にふと目が覚めて子どもたちに布団を掛け直す瞬間にあぁ、愛おしいな…と感じる。
録画しておいたドラマを観て主人公と一緒に気持ちを揺れ動かして
来週も楽しみだなーと感じる。
いつも歩く道端につぼみができて、花が咲いたのを見て
綺麗に咲いたね、良かった。と思う。
挙げていけば些細ですが、こういう物事の詰め合わせって幸せですよね。
「生きててよかった!」と思うことは多々ありますが、
「このために生きてます!」という確定的な事はないです。
これだというものがあればいいのでしょうが、
案外見つけるのに苦労するんですよね。
見つからない時のもがく感じって
出口があるかも分からない薄暗い迷宮に入ってしまったような
進むのも戻るのにも勇気が必要な途方もない感覚がするんですよね。
ドラマや物語である前後の記憶が無く気が付いたら迷宮に立っていたという。
意味とかそういう難しい事考えるとハムレット的な展開になるので
シンプルで良いと思います。
ただ、勿体ないな~と思うんです。
身近な人が旅立って事あるごとに想うんです。
あの人勿体ないな~って。
こんなに便利で楽しい時代があるのに、何であの人いないんだろうなと。
あの人いたらきっと大興奮だっただろうね~なんて。
だから、折角生まれてきたのだから
思う存分人生を堪能して楽しんで往生際悪く生きてやろうと思うんです。
小さくても楽しみを寄せ集めて、まるで小学生が遠足までの日を指折り数えるような…
そんな風に人生を楽しめたら最高じゃないですか。
最初に書いたデビルマンの唄そのものかなと。
(本当の意味を)誰も知らないし、知られちゃいけないんです。
知ったところで何があるのかは分かりません。
知られたらいけないらしいので、知らないまま分からないまま生きるのもオツじゃないですか?
その時々で良いじゃないですか。
意味って最初から分かってること少ないと思うんです。
小さい頃や若かりし頃に
親や周りの大人が言ってた言葉の本当の意味を理解していましたか?
私はNOです。
大事故ではないけれど
かすり傷とか打撲とか骨折とか痛い思いをして初めて
「あぁ~あの時の言葉の意味はあれだったのか~」としみじみして初めて本当の意味を知るんです。
だからせめて最後の晩餐はつやつやのほっこほこの白米を美味しく頂いて
ふっかふかのお日様の香りのする柔らかい布団で
あぁ~楽しかった!と言える人生を送らないと勿体ないと思いながら生きてます。
結果は後からついてくるんで過程を楽しんだ者勝ちです。
むしろ、結果なんてどうだっていいんです。
結果なんて何とでもつけておけばそれなりに見えるんです。
言いたい人が言いたいように言わせておけばいいんです。
自分が自分で探して考えて感じて、見つけて、更新して、更新して、
やっぱりこれかな?とか戻ってみたりして、ウロウロして、時々立ち止まって
ちょっと、より道して違う発見をしてみることが大事なんじゃないでしょうか。
誰かが用意してくれた答えを鵜呑みにしてるようでは
まだまだ、人生味わってない証拠です。
のら~り、くらり、自分に正直に好きなように生きたっていいんじゃないですかね。
だって、生れてくることを許されて
今も、生きることを許されて生きているのだから。
確固たる何かがあってもなくても、許されているというあり難さを感じようと思います。
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